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Serena*Mのあたまのなかみ。
大正の書生シリーズ その弐。→その壱
聞きかじりの知識とイメージを地で行く、大正。







梅の花が咲く頃、星野は雪深い郷里へと帰っていった。
まだ一年、書生としての期間は残っていたのだが去年の夏から妙な咳が続いて、医者に掛かるのを嫌がる星野をなんとか宥めすかして診療所に連れて行き、診断された病は結核であった。
この時代、結核はさして珍しい病気ではなかったが人の命も奪う病気でもあった。
「金の心配はない」と何度も月本は説き伏せたが、頑なに星野は入院を嫌がり、仕方なく月本は町の外れに部屋を借りた。今度の部屋は二間続きで、以前の部屋よりも少しだけ広い。それに、離れがある所だったので二人が住む条件にぴったりの場所であった。

下宿先の大家である女将さんは一人息子を早くに亡くしたらしく、急に息子が二人できたと良くしてくれたので以前のように銀座のカッフェや定食屋に行くことも減り、女将さんの作った大根を炊いたのや、魚を焼いたものなんかを食べることが多くなり、きっとこのまますれば星野の病気も良くなるんじゃないか、月本はそう希望を持ったりした。

「此処は空気が綺麗だな」

離れの縁側で、星空を眺める星野がしみじみと呟く。

「街灯も少なくて、郷里の空を思い出すよ」

少しばかり冷めたほうじ茶を啜って、隣の饅頭を二つに割る。

「…半分こしよう、月本」

柱に凭れたままの月本に差し出す。
大人の拳くらいある其れは、お節介な女将が二人で食べなさいと学校帰りの月本を捕まえて渡されたものだった。
月本は頷くと、星野から渡された饅頭を受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。
甘味、と呼ばれる物一通りを嫌う月本であったが、この餡子だけは別格できんつばやおしるこなんかは好んで食べていた。その辺は、星野の嗜好に影響されているのかもしれない。まだ少し元気だった頃の星野は、みたらし団子にわらび餅、それに落雁なんかが大好物で常に何かしらの甘味を持ち歩いていた。

「…具合、大丈夫なのか」

同じように星空を眺めながら云った月本に、星野は少しだけ肩を竦めた。

「どうにも、良くなさそうだな」

一口大に千切った饅頭を放り込んで星野は続ける。

「…もう、放って呉れたって構わないんだぞ」

月本が毎日、30分掛けて汽車の駅まで歩くのも知っていたし、それから混んだ汽車に1時間揺られるのも知っていた。研究している事だって、途中で切り上げて帰るのも分かっている。星野の部屋からは、月本の部屋がよく見えたし、明け方まで明かりが灯っていることも多くあった。

「まだ、それを云うのか」

云ってから、残りの饅頭を無理矢理押し込んで茶で流し込む。

「僕がしたいことを、星野が手伝って呉れてるんだ。
 そうだろ?」

そっと肩を抱くと「うん」星野は頷き素直に垂れかかった。

「あったかいな、月本」

閉じた瞳を、長い睫が覆う。月明かりに、それは綺麗に映えていた。
堪らず、星野の額に唇を重ねる。驚いて見上げた星野がやっぱり儚げで美しくて、月本はその口元にも愛を捧げた。







「さよなら、月本」

東京の大きな駅、汽車の窓を大きく開けて其処から身を乗り出した星野が手を振る。

「さよなら、星野」

彼に汽車賃を渡すのも是が最後。
郷里で元気になったら、稼いで戻って来いと、一晩中語り合った。

久しぶりの星野の身体は、どこも彼処も折れそうなくらい細くて、けれどしなやかで、真綿に包むやうに優しく、その感覚に何度も月本は溺れたのだった。時折見える、その三日月が月本をもっと狂わせる。
――君の病気で僕が死ぬのなら、それが本望だと。口には出さなかったけれど、それは月本の本心であり、望む最期でもあった。

遠く、まるで胡麻のように小さくなった汽車と、残されたのは都会の雑踏。
月本はくるりと踵を返すと、あの町外れの家を引き払うために一歩を踏み出した。
もう、きっと、それは一縷の望みも無く、星野は戻らないと分かっていたから。

「さようなら、裕」

呟いた月本の言葉が、今入ってきた汽車の轍の音にかき消された。





霜降…二十四節気の第18。九月中。

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