Serena*Mのあたまのなかみ。
最愛の人の最期と云うのは、驚くほど呆気ないものであった。
「月本さん、月本誠さんはいらっしゃいますか」
階下で声がして、二階の出窓から月本は顔を出す。
「はい、月本は僕ですが…」
「電報です」
云われて、背筋に冷たいものが走った。
今行きますと、どうにか震える声を抑えて階下へと向かう。郵便局員から小さく畳まれた電報を受け取って、その場で空ける気にならず、元の部屋に戻ってきた。
最初住んでいた六畳の部屋とよく似た作りの其処は、出窓があって、今はそこでぼんやりと人の往来を眺めるのが月本の時間の潰し方であった。山高帽の紳士、日傘のご夫人、たまに洋服を着た子供が走り、原稿を握り締めた新聞記者が電柱の影で何かを書き連ねている。
月本はその、出窓の定位置に着くと大きく息を吐いて、そして電報の封をぴりぴりと剥がした。
裕、永眠ス
長キニ渡リの厚情ニ感謝
覚悟を決めて開けたものであったが、矢張り覚悟が足りなかったらしい。月本は静かに低い天井を見上げると涙が毀れないように何度も瞬いた。必死になってそうしているうちに、今度はきゅうと喉から変な音が漏れる。堪えきれなくなって、月本は突っ伏して泣いた。こんなに泣いたのは、きっと彼の人生で初めてであったと思う。
それだけ、彼の短い人生の中で星野の存在は大きかったのだ。
あくる日、普段にも増して倦怠な空気を纏った月本に、友人らは星野の死を悟ったのである。
一度だけ、彼の郷里を見てみようと月本は汽車に乗り込んだ。
目指す場所など、皆無に等しい。ただ、思い出が多すぎるこの街が月本には辛かった。小さく纏めた荷物だけを持って、北へ行く汽車に乗る。北の冬は早いと云っていたから、夏に出かけた。その選択が間違っていたのか正しかったのか、月本は知らない。
在りし日の星野の手書きの文字を見ながら、郷里を歩く。
行く人行く人に尋ねると、この村の寺を教えて貰えたから、真っ直ぐ其方に向かおうと思った。
山間の、長い階段を上った先にその寺があり、住職に理由を話すと人の良いその人は友人の眠る場所へと案内して呉れ、短く経まで上げてくれた。
ありがとうございますと頭を下げると、君のやうな友人が居てこの子は幸せだったろうと穏やかに微笑む。良かったらお茶でも飲んで行きなさいと誘われたので、お参りが終わったら寄らせていただきますと丁寧に返した。
持ってきた線香に火をつけて、そっと彼の墓前に供える。
包みの中から、彼の好きそうな菓子を所狭しと並べて、月本は両手を合わせた。
その時だ。
ぐらり、と地面が浮つく。なんだと思い、あたりを見回すとゆっくりと地面が揺れるのが分かった。
「地震?!」
月本が立ち上がる。
その頃には揺れは収まり、また静かな空気が広がっていた。
気の所為だろうか。月本はまた墓前に手を合わせると、また来るよと小さく話しかける。
山肌に作られた其処は空によく近く、きっと東京よりも美しい夜空が広がるのだろうと月本は考える。星野は、空を眺めるのは好きだったから、きっと満足しているだろうと。
上ったときよりも、随分と軽くなった荷物を携えて住職の下へと向かう。
遠路はるばる、と住職は月本をねぎらい、渋いお茶と饅頭を勧めてくれたので遠慮なく其れを頂く。暫く、子供の頃の星野の話を聞いていると、庭から覗く少女に目が留まった。頭に揺れる、大きな白いリボン。目元が星野に似ている気がして住職に尋ねると、一番下の妹だと教えて呉れた。毎日、兄の下へ来て掃除をしているのだと。
住職が彼女を呼び、月本を紹介すると彼女は深々とお辞儀をして、何度も感謝の意を述べた。このリボンも兄に貰ったものだと云う。一度だけ郷里に帰った時に、妹の話をする星野を思い出して、そっと月本は目元を拭った。
帰ろうとする月本を引きとめ、お礼をさせて欲しいと家へと案内される。彼の家族は驚いた顔をしたが、彼が東京で世話になった友人・月本だと分かると先の妹のように深々と謝辞を述べて、何も無いところですが、ともてなしてくれた。
裏の畑で取れたと云う野菜は新鮮で瑞々しく、焼き魚は塩をまぶしただけなのに絶品で、郷土料理だと云う鍋はいくらでも食べられる美味しさだった。
郷里に帰ってから、星野はいつも友人の話をしていたのだと云う。其れを聞いて、月本はいやに恥ずかしいやら申し訳ないやら、そんな複雑な気分であった。
どうぞ今日はお泊りくださいと、強引に布団を敷かれ、一番風呂に入り、彼の家の貧しさを知っていたから妙に萎縮してしまう。一体、星野はどんな話をしていたんだろう、つらつらと考えながら、気付くと夜は明けていた。
戸を静かに開けると、朝もやに包まれた山は神秘的で、月本は大きく息を吸い込む。是が星野が育った空気なんだなぁと思うと、急に切なさもこみ上げた。
「おはようございます、月本さん」
昨日、一番に会った末の妹が彼に声を掛ける。
「おはようございます」
月本が短く返すと、彼女は星野に良く似た笑顔を作る。その手に水汲みの桶が握られていたから、月本は手伝うよと其れを受け取った。
「私ね、お医者さんになりたいの」
清流のせせらぎを聞きながら桶を沈めると、ぽつりと妹が話す。
「お兄ちゃんみたいに、病気の人を治したい」
真っ直ぐな瞳で云う彼女が、生きる希望を失った月本には眩しく映る。
「…応援しているよ」
この時代、女医はまだ珍しい頃だったから、月本は素直に彼女の夢を応援した。きっと星野だって、妹の夢を応援しただろう。
そうして二人で、また家への道を登った。
汽車の駅に着いて、驚いたのは月本であった。
『東京 壊滅か』
そんな号外が目に飛び込む。
昨日の地震は東京を直撃し、壊滅状態であると云う。勿論、汽車動くが東京までは走ることは出来ない。それに、東京は火の海なのだと云う。家財道具の全てがその地にある月本は途方に呉れた。
鳴呼、此処にさえ来なければ僕の命は尽きたかもしれないのに。
生きろと云うのか、お前は。
月本は混乱の駅舎を抜けると、星野の眠る場所に向かって吐き捨てた。
それは、良かったのか悪かったのか。
化学の研究を生かし、その職に就くも世間は戦争の気運が高まり、彼の研究は遅々として進まない。
軍属に下ったものの、直接軍と関係の無い彼の研究は名ばかりで他の研究助手に終わる。
疎開の名前で田舎に越してしまったものだから、東京の空襲も大阪の空襲も何も被害は無く、命からがら逃げてきた同僚の面倒を見てやるだけ。
戦争が終わったかと思えば、遂に発症してしまった結核で、療養生活と思われたが抗生物質の登場により呆気なくその病も完治し、また研究の道へと戻る。
「君は、私に生きろと云っているんだな」
西洋のベッドに身を横たえ、ひとり、月本は呟く。
その頭は白いものが多く混じり、顔には深い皺が刻み込まれていた。
「良い時代になったよ、裕」
ベッドサイドのぶどう酒と一口飲むと、眠るように月本は逝った。
早起きな彼が全く起きる気配が無いから、心配した女中が様子を見に来て、事が分かったと云う。
荷物は全て整理され、旧い日記帳を一緒に燃やして欲しいと一筆書かれていた。華奢なノートに似合わない頑丈な錠前に人々は不思議がったが、生前の月本は良い人であったから誰も中を見ようとは思わず、言葉通りに一緒に燃やした。
彼の葬儀には、沢山の人が駆けつけたと云う。
良く晴れた日の話である。
「さよなら、誠」
そう、真っ直ぐに伸びる白い煙に話しかけたのは誰だったか――
了
待宵…陰暦八月十四日の宵のことで、翌日の十五夜の月を待つ夜の意。
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