「おかんスマイル」を書く予定だったのに…
ペコがドイツに行って3年。
日本でも、彼の活躍がちょっとずつ深夜のスポーツニュースで放送されるようになった。
それまで、1度も日本に帰って来なかったペコだけれど、
ちょうど日本での大会があり、そのまま1月ほど休暇を貰う予定だと。
昨日、メールを寄越した。
時差はきっちり8時間(ただし、これは冬時間。夏になると7時間らしい)
「…ねぇ、それって今日こっちに着くってこと?」
寝ぼけ眼のまま、携帯に表示されたペコのメール。
ペコは、メールがあまり好きではなくて、
本当は毎日電話したいところだったけど、国際電話は異様に高くって。
時折届く、世界からの葉書と(書いてあるのはたった一言だし、差出人もペコ☆としか書いてない)
ほんの気まぐれに3分、話すだけ。
僕がもっとパソコンに強かったら、スカイプとか繋げられるのかもしれないけど、
パソコンの前で座り続けるのはペコにとって負担になるだろうし、なんだかこの距離感が凄く好きだった。
もう一度、枕に顔を押し付けてじっとすると
鼓動がいつもより早くなるのを感じた。
まるで、試合前の控え室みたい。
ゆっくりと起き上がると、携帯電話を開く。
これは、誰かに知らせた方がいい?
それとも、僕だけで迎えに行った方がいい?
そんな思考に捕われてしまって、旧友の【アクマ】のボタンは押せないままだった。
学校帰り、タムラに寄るとおばばが「来週からペコが名古屋で試合をするよ」と教えてくれた。
…うん、知ってる。去年の今頃、興奮してペコが電話をしてきたんだ。
「日本での試合が決まったぴょん!」
「今日から日本に来るんだって」
「迎えに行かなくて良いのかい?」
「だって、何時の便とか書いてなかったし、試合ならそのまま移動でしょ」
「つれないねぇ」
「…僕も学校あるしね」
「そうかい」
そう云っておばばは紫煙を気持ち良さそうに吐く。
ペコがこの匂いを纏っていた頃は嫌だったけど、基本的にはタバコは好きな匂いだ。
タムラの匂い。
君と、卓球した匂い。
そう云ったら笑うだろうか。
タムラには相変わらず、小学校と高校の、僕らの写真が飾ってある。
『スマイル、お前試合に行くのか?』
夕食後、課題の調べ物をしていたらアクマから電話が掛かって来た。
今暇か、と問うので課題をしていると答えたら、上記の言葉だ。
「試合?」
『おう。
来週のペコの試合に決まってんだろ』
「…チケット買ってないから、行かないかなぁ」
『ハァァァァァァァ?!』
アクマの顔が目に浮かぶ。
きっと隣でムー子さんが「なぁにマー君怒ってるのォ~~」と云ってるんだろう。
「冗談だよ」
『…お前…
お前が冗談言うとか洒落になんねーんだよ!!!!!!』
吼えた向こうの受話器から、案の定ムー子さんの声が聞こえる。
『マー君~~?』
「チケットはね、買ってある。
おばばと行くよ。アクマは?」
『行くに決まってんだろうが。』
「…そしたら、駅で待ち合わせようか。
ムー子さんにもよろしく伝えて」
『お、おぅ。
じゃぁな』
通話ボタンを押すと、また、着信が鳴った。
携帯に浮かぶ、【★】の文字。
「…はい」
『おぉっ!スマイル!!電話出るの早いな!』
「今、電話使ってたからね」
『それならがってんしょーちのすけ、だな』
「どうしたの、ペコ」
『スマイル~~…
久しぶりのお電話なのにつれなくなぁい?』
「そう?
僕はいつもと同じだよ」
そう、きっとさっきアクマと電話していなかったら声が裏返ってたかもしれない。
『あーそうだそうだ!
スマイルに見せたいものあってな!
ちょっと外に出てくれろ』
「…外、ってもう夜中だしペコ、君は名古屋じゃないの?」
まさか、と思った。
ス~~マ~~~イ~~~~ル~~~~~~~!!!!!
窓の外から、ペコの声。
遅れて、携帯電話から同じ声がこだまする。
『ス~~マ~~~イ~~~~ル~~~~~~~!!!!!』
大急ぎで階段を駆け下りる。
21年間慣れ親しんだ家なのに、何度つんのめりそうになった事か。
玄関を開けると、そこには…
「ただいま、スマイル」
にかっと、子供の頃から変わらない笑顔で。
雑誌で何度も見た笑顔で。
「…ペコ…」
遠征は?試合は?どうして?此処に?
「一番にスマイルに【ただいま】って言いたかったんよ」
そう云う彼の手には、コンビニのビニール袋。
「やっぱりな、日本のお菓子ってぶっ飛んでておいら感動しちゃったんよ。
【すっぱムーチョ 恋の甘塩味】ってもう意味わかんなくなってるしな。
…あれ?
スマイル?スマーーイル??」
固まったままの僕に、ペコが屈んで覗き込む。
「ペコさんのお帰りなりよ。おかえり、って云ってくれろ?」
「う、うん…」
相変わらず、ペコはペコのままで。
僕は思考回路が止まったまま。
「明日、アサイチの新幹線で向かうから一晩お願いしマッスル」
変わらない、お願いのポーズ。
頷くことしか、出来なかった。
ペコが帰ってきた。
ペコが帰ってきた。
ペコが帰ってきた。
僕の、ヒーローが。
「おいらの予想だとスマイルが笑顔で抱きしめる予定だったんだけどなぁ。
あっちょんぶりけ」
慣れた手つきで玄関を閉めて、靴を脱いでスリッパを出して。
そこまできて、やっと思考が動きだした。
「…ペコ、おかえり」
きっと、ペコが僕の笑顔を見たのはこれで3回目。
【すっぱムーチョ 恋の甘塩味】よりももっと甘いキスを僕たちは、した。
*FIN*