アイヴス君は転職を考える

TENET/主ニル、そしてアイヴス

アイヴスがただ「転職したい」と切に思うだけのギャグです。

――キッカケは何だったか。
二日酔いで酷く痛む頭を抱えながらアイヴスはミネラルウォーターの入ったペットボトルの飲み口を捻る。

場所は、彼らの所属する“組織”の男が住まうペントハウスの一室。
組織の長ともなればこんな豪華な居住地を持てるのかと自身の安アパートを脳裏に浮かべながら思う。

窓際に置かれた大きな葉の観葉植物、優しい木の色を生かしたブラインド。
締めきれていない隙間からは朝の陽光がほんのりと漏れて部屋を照らしていた。

この部屋だって男の主寝室ではない。
小さな応接ソファとベッドの置かれたゲスト用の寝室だった。
体格の良いアイヴスには少々手狭ではあったが、彼は3人掛けのソファに、
そして酔っぱらって手の付けられなくなったニールはベッドに転がしたのは覚えている。

矢張り座る為に設計されているソファで寝るには無理がある。変に筋が固まってしまった上半身を伸ばしていると、どうやらニールも目を覚ましたようだった。

「…あれ…
　ここ……」

子供のように眠気のある声を出したニールに、嫌がらせのようにアイヴスはブラインドを開ける。
部屋全体に差し込んだ陽光に

「ひゃ！！！！！」

驚いたニールはシーツの中に潜り込んだようだった。

「…朝だぞ」

アイヴスは言ってシーツを捲り上げる。
相変わらず俯せで寝ていたのだろうか、妙な形の寝癖に彼は少し吹き出した。

「ブラインド閉めて」
「起きろ」
「起きない。
　僕のアルゴリズムはまだ此処にいて休憩しろって言ってる」
「起きてるだろ」
「起きてない」

子供か！
言いたい衝動をぐっと抑えると、二日酔いの頭がまだ回る気がする。ニールの声にすら、頭痛は反応するようだった。

「二日酔いなんだ、勘弁してくれ」
「じゃぁアイヴスも寝ればいいよ。
　ほら、ブラインド閉めてさ」
「そうは行かないだろ。
　眠いから寝るって子供かよお前は」
「僕のアルゴリズムは今この布団と結ばれているから離れることは出来ないんだ。
　申し訳ない」

真面目な顔をして言うニールに、アイヴスは溜め息を吐く。

「起きろ」
「いーやーだーーー」

シーツを引っ張り、また奪い返される。
そんな不毛なやり取りを何度続けたことだろう。

遠くからコツコツを言う靴の音が響いて、寝室のドアがノックされる。
クリーム色の壁に掛けられた洗練された時計の針は朝の7時を指していた。

「…入るよ」

男の低い声がして、ドアがそっと開く。

「おはようございます」
「おはよう、アイヴス」

丁寧に頭を下げたアイヴスに「体の具合はどうだ？」男は続ける。

「昨日は随分飲んでしまったから…と思って、スムージーを買ってきたんだが」
「ありがとうございます。
　昨日は…その、すいません」
「いいや。私も久しぶりにお腹が捩れるほど笑ったよ。
　ありがとう」

思い出し笑いに涙を拭いた男が、まだベッドでミノムシのように丸まっているニールに視線を投げる。
男から渡された紙袋を受け取って、アイヴスは肩を落とした。

「それが、コイツ全然起きる気もなくって…」
「いいよ、彼を起こすのは私が引き受けよう。
　それを飲んだらシャワーを浴びると良い。タオルなら自由に使ってくれ」

上司でもある男の優しさと申し出に、アイヴスはもう一度頭を下げる。

「ほら、ニール。
　いい加減に――」

起きろ、続けようとニールを覗き込むと、もうすっかり目の覚めたニールは日の光に当たってガラス玉のようになった空色の瞳をキラキラとさせながら男を見つめていた。

「…なんだ、起きてるじゃないか」

ニールの視線に気付いた男が、ベッドサイドに腰掛けてそっとニールの寝癖頭を撫でる。

「おはよう。凄い頭になってるよ」

穏やかな男の声に、ニールの顔が朝日に負けないくらいにっこりと輝いた。

――あー？　俺？俺も此処にいるんですけど？？

スムージーを応接セットのローテーブルに置いてアイヴスは眼下に広がる街並みを見つめる。

「…転職してぇ」

背後で繰り広げられる、恋人同士のいちゃつきに心からアイヴスは転職を誓うのだった。

＊おしまい＊