アイヴス君は転職を考える②

TENET/主ニル、そしてアイヴス

アイヴス君が転職を考えるだけの話。

すっかりホイーラーに渡す報告書の1つを忘れていたアイヴスは、とっぷりと日も暮れた頃、大急ぎで本部へと続く非常階段を駆け上がっていた。

1度目は書類の不備、2度目は誤字訂正の多さ…
先週まで、と言われた提出期限をもうすっかり破っているから3度目の正直、今度こそ胸を張って作戦の報告書を提出したい。

今日は新しい彼女とのディナーデートだったのに、わざわざ待ち合わせ時間を遅くしてまで戻ってきたのだ。
乱暴にIDカードをカードリーダーに翳し、男は事務所へと走る。

普段なら人が居る本部事務所だったが、今日に限っては人気が無く大きなガラスから覗くオレンジの空が物悲しい。
辺りに迫る宵はアイヴスの背後にも迫ってきているようで、彼にしては身震いすると足早に自身のデスクのある事務室へ急いだ、と――

「…やだぁ」

薄く開いた事務室の扉の隙間から見知った声が小さく漏れる。

「そう言って、いつも君は」

続いて聞こえたのはアイヴスの上長でもある男の声で、思わず彼は息を潜めた。

「えー…だってぇ」
「文句なら後で、だ」
「でもそう言う貴方だって、結構……」

――！？

漏れ聞こえる、甘い会話にアイヴスは耳を欹てる。

ボスと、ニールの…声？

最近、2人で任務に行くことも多かったし相棒として信頼しているのは知っていた。性格的にソリが合わなそうだなぁと見守っていたのだが、お互いの苦手分野を上手く補えるようで、作戦の概要説明時には派手に意見交換をする割に、いざ実践となると思いの外すんなりと任務をこの2人はこなすのだった。
けれど、今こうして聞こえる声は、相棒と言うよりかはまるで恋人のような、甘い――

「悪い」思いながらもアイヴスは扉の隙間から部屋を覗く。
彼だって早く書類を持って帰りたいのだ。彼女とのデートだって控えているし。

アイヴスはそっと事務所の扉を開ける。ゆっくりと顔を覗かせると衝撃的な場面に出くわして彼は顔面を強張らせた。

入ってすぐのミーティング用の大きなテーブル組み敷かれたニールと、それに圧し掛かる……

「！」

上下が逆さまになった世界で、同僚の出現を確認したニールの目が見開く。
ニールと同じくして顔を上げた男と、アイヴスはしっかりと目が合った。

――怖い話だった良かったと何度思ったことか。

叫び出したくなる口を必死に押さえてアイヴスは素早く自分のデスクから書類を引っ掴む。何も見てない聞いてない！呪文のように唱えながら疾風のように本部を走り去ったのだった。

――えっと？　あそこは俺の仕事場であり、愛を語る場所ではないのだが？　と、云うかあの2人…？？

エレベーターホールで、彼女からの不在着信を知らせる携帯電話の画面を見ながら、アイヴスは項垂れる。

「…転職…しようかな…」

翌日、やっぱり不備ばかりの報告書に特大の雷を落とされたアイヴスは違う意味で『転職したい』そう、泣いたのだった。

＊おしまい＊