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Serena*Mのあたまのなかみ。
唯のコーチとウェンガの捏造。
青空に自問するウェンガが書きたかっただけ。








『君の人生は、これから始まったばかりだろう?』

そう問い掛けられて、言い返そうと思った。
たかがコーチの分際で、人の気も知らないで、努力したのは唯自分だけなのに、

なのに、

知った口を。

顔を上げてぶつかった視線には、ただ優しく微笑む彼が居て、

『僕は今まで君の一番近くで君の頑張りを理解してきたつもりだ。
 君は1度の挫折くらいで、へこたれる人間じゃないだろう?』

そう、力強く頷かれたから、

頷き返すことしか出来なかった。
その頭にふわりと乗せられた掌は優しく、その温もりを独り占めしたいと、妙な気持ちに孔は戸惑ったがそれでも流れる涙は止めることが出来ず、ただコーチはその直毛の髪を撫でて、背中を擦っただけだった。







コーチとその選手。
孔とコーチの関係は、其れ以上でも其れ以下でも無い。
強いて云えば、子供の頃から見守っていたコーチは家族にも似た親愛を感じていたし、
孔は家族以上の何かを求めたが、それはずっと心の奥底に仕舞いこんだ。

この青い空の下。
距離は離れていても、貴方を感じることが出来る。

家族と離れたって、私は自分の決めた道を進むよ。



屋上で風に吹かれる孔を、生徒が呼びに来た。

「コーチ、基礎練が終わりました!」



孔は小さく頷く。

「直ぐ、行く」


――彼は母校の卓球部の指導者となっていた。







『今年の春節は帰ってくるのか?』

そうビデオ通話で恩師に言われて、気持ちは本国へ帰りたくて仕方なかったが春節の無い日本で長期休暇を取るのが難しいのは分かっていた事なので3月に少しだけ帰れそうだと伝えておいた。

『会えるのを楽しみにしているよ』

そう微笑んだ恩師の顔は、自分が指導されていた頃と全く変わらず、なんだか其れが嬉しくなって孔も照れ隠しに眼鏡を上下させた。
極端に目が悪いわけではなかったが、若い頃の癖は抜けないらしく、なんだか眼鏡があると日本に来たばかりの頃のような、強い心が宿るような気がしていた。







それから何度か、恩師に連絡を取ろうとしたがなかなか繋がらず、やっと繋がった頃は帰ると言っていた3月に入ってからだった。

飛行機の時間なんかを伝えようとした孔を、恩師の家族が現実に引き戻す。







『父は癌が見つかり入院しています』







聞けば、その癌は進行性の胃がんのようで
発見された時には随分と進行していたようだった。
無理に切除するよりも、残された時間を大切に過ごしたいと本人の希望から積極的な治療は行わず
緩和ケアを中心とした療養をしていると言う。

あの時のビデオ通話の、会話が脳裏に蘇る。


「ちょっと痩せたんじゃないか?」

『そうかな?
 ただ最近、油っこいものが苦手になってきてな。年かな』

お爺さんだな、なんて揶揄った自分の言葉。
なんて馬鹿な事を、思ったが時は既に遅し。

見舞いしたい事を家族に伝えて、孔はゆったりとした二人がけのソファでうなだれた。

傍らの、サイドテーブルに置かれた中国茶が良い芳香を放っていた。――それは、恩師から送られた最上級のお茶だった。







その月の末。
久しぶりに本国に降り立ったその足で、恩師の入院する病院へ向かう。
気持ちばかりが焦り、ちょっとした渋滞ですら孔をイラつかせた。
赤信号だけれど、無理に進入しようとする軽車両、それに対してのクラクション、人々の声。
日本だったらこんな事は無いのに!
間近で起こる接触事故の多さに、彼は心底不快感を表しながらタクシーのドアを閉めた。

「釣りは要らない」

恩師の出身地方の訛りが出た彼の中国語に、タクシーの運転手は地方者と踏んだのか正規価格の倍の数字を提示してきたので、孔はきっちり正規の金額とほんの少しのチップを弾んで標準的な中国語で返した。

日本だったら

思って、自分がいかにあの外国に毒されているのかと嘲笑う。

正面玄関を颯爽と歩きながら、彼は恩師の居る病棟へと急いだ。







久しぶりに彼を迎えた恩師は、想像以上に小さく、そしてやせ細っていた。

「よく来たね」

傍らで果物を剥いていた恩師の家族が彼へ椅子を勧め、素直にそれに従う。

「…なんだか、こんな姿を見られるのは恥ずかしいな」

「思ったより元気そうで良かった」

孔はお土産を家族へと渡し、差し出された果物を恩師の前へ運ぶ。

まだ、彼が恩師をコーチだと慕っていた頃、あんなに大きく見えた背中は小さく、
力強く指導してくれた精悍な顔つきは穏やかな表情を浮かべていた。

「故郷へは行ったのか?」

「いいや。
 今日はこっちで1泊してから向かう予定だ」

「…そうか。
 会えて嬉しいよ、文革。」

正しいピンインでこの名前を呼ばれるのは久しぶりで、暫くその声は孔の耳を支配した。

「…文革?」

もう一度呼ばれて、彼の思考が現実に戻る。

「すまない、名前を呼ばれるのが久しぶりで」

苦笑しながら首を振ると、恩師が続ける。

「ツジドウ、センセイ?」

恩師から先生と呼ばれるとは!
孔は大きく首を振って止めてくれと懇願したが、恩師はただ楽しそうに笑うだけだった。

「上手いものだろう?」

「…あぁ、恐れ入ったよ」

遠い昔に、似たような会話をした記憶がある。
恩師が急に咳き込んだので、孔は背中を擦り、小さく続けた。

「また、来るよ」






恩師の容態が急変して、空に還ったと知ったのは翌日、郷里の母に山ほどのお土産を渡した時だった。







慌ただしくも、恩師の葬儀に参列し本国の葬儀はこうも騒がしかったかと若干の疲れを覚える。
日本の葬儀は読経があり、静かに涙する場合が多かったが母国では嫌と言うほど泣き声が響き渡り、その棺に縋ろうとし…なんだか演技地味てて低級の映画を見ているような、そんな気分にもなった。本当は自分だって泣きたい。けれど、泣くのは許されない。泣き叫ぶのは女の役目なのだ。

――鳴呼、私が女だったなら。恩師の女であったならば。

そんな不埒な妄想が脳裏を過ぎり、相当疲れているな、と彼は眼鏡の奥の涙を拭った。
遠目に見た、恩師の姿は穏やかで満足そうな顔だった。







それからの日々は、悲しみに呉れる暇も無く淡々と過ぎ去ってゆく。
人間の慣れとは恐ろしいもので、どんなに心が錘のように重くても軽やかな笑顔は作れるし、冗談も言える。
卓球の指導も、苦も無く激を飛ばせるのだった。


いつもの様に指導メニューを部長に伝え、屋上に休憩に向かう。
広がる青空に、ぽっかり空いた心の穴を見透かされるような気がして、普段なら凭れかかるフェンスを避けて、吹きさらしのベンチに腰を下ろした。

時折、強い風が吹く。
思わず目を閉じると、体育館の卓球の音がよく聞こえた。

聞き慣れた2,3年の球筋の音。
聞き慣れない1年のたどたどしい音。
その中に良い音を見つけて、目を開ける。

強い風を避けるように顔を上げると、そこは以前と変わらない、青く澄んだ空。

「…对象你一样的领导人,我会习惯吗」

呟いた母国の言葉が、強い風に巻かれて空へと消えた。


――彼の地の、恩師にこの言葉は届いただろうか。


階段を駆け上がってくる足音を聞いて、孔は腰を上げた。
この足音は、きっと副部長だ。サービス練習をしたがっていたから、きっとその相談だろう。



孔が消えた屋上に広がるのは、ただ、静寂。
空は、何処へでも繋がっている――





*FIN*




最後の台詞:「…貴方のような指導者に、私はなれるだろうか」

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