Serena*Mのあたまのなかみ。
邪視(邪眼)を持つディックの話。
※俺アースの展開でオリジナル色強めなのでご注意ください
+++
タイトルは同人タイトルスロット【https://slot-maker.com/slot/5483/】より
Ⅰ.Upbringing
「悪魔の子だ」人は言う。
「いや、神からのギフトだよ」また別の人は言う。
「ただのインチキだ」そう言う人も居る。
――僕には不思議な能力があるらしい。
それは、そんな僕が“普通”に憧れた話。
*
生まれたのは小さな港町。
僕の両親はサーカスの花形スターだった。
君はサーカスを見たことあるかい?
一晩で立ち上がるテント、煌々ときらめく灯かり。
獰猛な猛獣に人は驚き、火の輪を潜ると歓声をあげる。
玉乗りがステージを縦横無尽に駆け回り、ジャグリングに拍手喝采。
最後に登場するのは僕の両親で、空中ブランコ乗りだった。
前人未到の4回転半。
それが花形スターの由縁で、僕の誇りで、そしてサーカスの中心だった。
僕が生まれた時、人は皆喜んだと言う。
「フライング・グレイソンズの優秀な跡取りだ」
「きっと5回転なんて容易いぞ!
もしかしたら6回転も出来るかもしれない」
けれど、僕を一目見て人は悲観したのだと言う。
「いや、この子が成長するまでサーカスは衰退するかもしれない」
「練習中に大怪我をして死んでしまうよ」
不穏な空気に気付いたのは両親で、
「曾祖父(おじいさま)と同じ空色の瞳ね」
なんて褒められたのも束の間、僕は真っ黒なサングラスを掛けられるようになった。
――遠い遠い親戚に、僕と同じような人が居たらしい。
先代は母方の曾祖父。
更に先は曾祖父の伯父。
何が原因なのか、と聞かれても分からない。
けれど、不思議な能力を持った人間が生まれるのだ。
サーカスの花形スターだった両親は苦悩した。
本来であれば、子供もサーカスの一員として活躍させたい。
愛くるしくてよちよち歩きの子供と一緒にブランコを飛べば、もっとサーカスの名声は広がるだろう。
けれどこの能力はなんだ?
見つめた人を絶望に陥れる、不思議な眼差し。
邪眼、邪視、魔眼――
文献にはそんな風に僕の能力を記していた。僕はこの目を持って無意識に“呪”をかけることが出来るらしい。
「死にたい」「死にたい」「死にたい」
子供の頃から一番聞いてきた言葉だ。
舞台には上がれなくても、チケット売りで微笑む事は幼子にだって出来る。
けれど、幾ら煌びやかな衣装を着せても、顔を隠すことは出来なかったから。
僕はずっと歓声を受ける両親を物陰から“聞いている”しかなかった。
分かるのは、両親の体つき、優しい声。触れることの許された柔らかな頬と抱き締められた時の石鹸の香り。
サーカスの人たちはこんな僕にも優しくて(だって他に目が見えない団員だって働いていたのだ。僕は彼から人に物事を伝える手段と生きる術を教わった)、素敵な世界だった。
――けれど、異端の集まるサーカスでも、僕の事は抱えきれなくて。
とうとう僕は10の時に見世物小屋に置き去りにされた。
……もしかしたら、売られた、のかもしれないけれど。
毎日僕は小さな小屋で人を見つめる。
見つめる、と言っても濁った硝子越しだ。
何十人と集まった人間を見る、ただそれだけ。
特別な感情を持たず、人間の先の空間を。
其れは、きつく両親から言われた事だった。
『人の顔を見つめてはいけないよ』
『…どうして?』
僕は泣いていたと思う。
人と違うのが悲しくて、下に生まれた弟が羨ましくて。
『ディック、お前は特別な子なんだ。
その能力は神様から与えられた……
だから、正しい事に使いなさい』
『正しい事?』
『お前が必要としてくれる人に、その力を与えなさい――』
苦し紛れの言い訳だったのだろうと今になって思う。
けれど僕はその言いつけを守ってきた。
人の顔は見ない、望まれなければ能力は使わない(と、言っても自分でどうこう出来る力じゃないんだけど)。
最初は硝子越しだった。
けれど、歪んだ硝子越しでよく見えない僕を観客は「嘘だろ」そう詰り、いつの間にか硝子は割られた。
その次は真っ暗なサングラスを掛けた。
薄暗い世界越しに、僕は人々の先の虚空を見つめる。
けれどやっぱり「イカサマだ」観客は怒り、サングラスも奪われた。
最後の部屋は薄暗くなった。
何十人と押し掛けた人は少なくなり、いつも片手で足りる人が僕と対峙する。
うっすらと目を開けると恐怖に慄いた人の顔ばかりが僕へ向けられ、誰も僕を「インチキだ」と笑わなくなった。
けれど、小さな見世物小屋では恐ろしい演目だったらしい。
大きな街に巡業した時、そのまま僕はその街に置いて行かれた。
――きっと、見世物小屋の団長も僕を“売った”のだろう。
僕が13の時だった。
その街は酷く荒れていて、今まで巡ったどの町よりも治安が悪かった。
真夜中にも響く銃声、叫び声。
朝になれば別の怒号が響き、殴る音が聞こえる。
「この町はゴッサムと言います」
僕を“買った”屋敷の人間は言う。
けれど僕は学校にも行ったことが無いし、地図の読み方も知らなかったからこの街が何処にあるのかも、何も分からなかった。
僕の生まれた町は港町で、よくサーカスでも港町を巡っていたけれど、こんな空気の悪い港町は知らない。
1度連れて行って貰った海は暗く、がらくたが浮かんでいた。砂浜なんて勿論ないし、釣りをしている人も居ない。
ただ灰色の暗い海と、酷い潮風に気が重くなっただけだった。
ゴッサムの街で、僕は屋敷から出るのを許されなかった。
いや、屋敷だけじゃない。“部屋”から出るのも許されなかった。
唯一許されたのは日の入りの時間、屋敷の中庭。
ほんの30分だけど、そこで外の空気を感じることを許された。
もうブランコに乗って喜ぶ年ではなかったけど、風を感じられるその遊具で僕は夢中になって遊んだ。
もしかしたら。
サーカスの次に訪れた平穏な時間だったのかもしれない。
部屋から出られない事を覗けば、僕は1番“自分”の姿で過ごす事が出来たからだ。
真っ黒なサングラスは執事が食事を運ぶ時と、外に出る時だけ。
部屋に一人だから眼鏡はしなくていいし、明かりだってしっかり灯せる。本棚の本の絵を見るのが好きだと話したら、子供向けの文字の本が手渡された。
それは、14になって初めて知った“文字”だ。
僕は初めて知る文字の世界を夢中になって覚えた。
AppleのA、BedのB、ColorのC…
君も子供の頃にそうして教えられただろう? とてつもなく遅いけど、それは僕にとって初めての“勉強”だった。
初めは文字から、その次は数字。
よく、スポンジが水を吸い込むように――なんて知識欲の形容がされるけど、まさにこの時の僕は“そう”だった。
字を覚えれば単語が読める。
単語が読めれば文章が読める。
数字を覚えれば計算が出来る。
数字の意味も分かる。
一気に開けた世界に、僕は没頭した。
花の辞典を見て中庭に出れば、その花が“何か”なのを辞書は教えてくれる。
いつも飲む紅茶の銘柄を調べれば、“何処で”産出された茶葉なのか調べられる。
好きなだけ本を読んで、初めて触れる“知識”の海に僕は溺れた。
町の歴史書を読んで、僕はこの街の歴史を知り、
新聞を読んで、ヘイリーズ・サーカスの巡業を追った。
――そしてやっぱり、“見世物小屋”は違法である事も理解した。
僕を引き取ったのはこの街一番の権力を持つ“ウェイン”の一家だった。
……どんな権力かって? それは街の“裏側”の力だ。
この街は混沌としている。
古くからこの街を拠とするウェインファミリーと、対峙するジョーカーファミリー。それに、メトロポリスからの新勢力・ルーサーファミリー。最近、ジョーカーファミリーとルーサーが手を組んだって噂もある。
田舎町に比べたら大きな街とは言え、3つの勢力が争うには余りにも小さい。
街の規模に比べたら大きな商業港を持ち、メトロポリスにも近いこの街は中継地として非常に優秀なようだった。
優秀と言えば、僕の引き取り主でもあるウェインファミリーの当主・ブルースで、彼はこのファミリーの頂点に君臨するため、僅か15歳の時に両親を暗殺しその地位に就いたらしい。
彼の右腕はこの屋敷の執事であり、僕の世話をしてくれるアルフレッドだった。
いつも穏やかな物腰で、僕に接してくれるアルフレッドが優秀な暗殺者だなんて恐ろしい世だとも思うけれど、
僕の能力を“買った”のもこの一家なのだ。
きっと僕もいつかファミリーの力にされるのだろう。
高く積み上げた歴史の本で僕は学んだ。
*
僕の人生が動いたのは16になったある日の事。
今まで一度も会ったことのない形式上の家族――ブルース・ウェインに僕は呼ばれた。
この屋敷に来て3年。
相変わらず僕の穏やかな幽閉生活は続いていた。
僕の世界は自分の部屋と屋敷の中庭だけ。
けれど本の世界は僕を宇宙にだって連れ出してくれるし、洞窟の探検だってさせてくれた。
現実の世界は狭いかもしれないけれど、僕の心は自由だった。
アルフレッドに連れられて初めて歩いた長い廊下の先。
同じような景色が続くものの、そこは初めて足を踏み入れた屋敷の景色で。
初めて見る花瓶や照明に年甲斐もなくきょろきょろと見まわしてしまった。
「こちらが大広間。
ブルース様がお待ちです」
大きな両開きの扉の前で硬直した僕に、アルフレッドは案内する。
促されるように木製の扉を開けると、その先には大きな大理石のダイニングテーブルと綺麗に揃えられた椅子が並べられていた。
大広間の一番奥、暖炉の前の主賓席にその人物が鎮座している。
「ブルース様、リチャード様をお連れしました」
凛としたアルフレッドの声に、自然と僕の背筋も伸びる。
やや間があって、
「…ここへ」
当主のものだろう、低い声が響く。
「こちらへ」
先導するアルフレッドを僕は追いかける。
大きな柱を3本過ぎたところで、ようやく大理石のテーブルが途切れた。
俯いた僕にブルースは声を掛ける。
「…初めまして、リチャード。
屋敷での生活はどうだったかな」
――マフィアの首領って言うから、怖い人を想像していたのだけど。
サングラスの薄暗い世界から見えるブルースの爪先は上等な革細工が施された靴で、その声も思ったより優しい。
きっと纏ったスーツも良い手触りの一級品なんだろうな、思いながらズボンのダーツを見ていると
「…顔を上げて」
そう指示される。
「……ダメです。
この顔は貴方に不幸を呼んでしまう」
屋敷での穏やかな生活を約束された僕は、養父の命を絶つことは出来ない。またあんな見世物小屋に戻されるのは真っ平御免だ。
「目を閉じていれば問題ないだろう?」
ブルースは言って立ち上がる。
穏やかな声ではあったけれど、低い響きには有無を言わせない強さがあって、僕は生唾を飲み込むとしっかりと瞳を閉じた。
暗闇の世界に、ブルースが至近距離に近づいたのが分かる。
長身であろう彼に見えるように背筋を伸ばして首を上げると、そっとサングラスを外された。
「……美しい」
彼は僕の顔に触れて呟く。
こめかみ、頬、鼻筋。
撫でるようにそっとブルースは僕を撫でる。
首筋から肩、ゆっくりと腕を伸ばされて指の先まで触って、ウエストラインもぎゅっと抱かれた。
――品定め、かな。
僕は思う。
表向きは優良な企業を抱えたウェインファミリーだけど、裏の顔はこの街のマフィアだ。表には出せないような性風俗の斡旋だってしている。
……きっと、僕も大切に育てているのもそんな“商品”に仕立てるためだろう。
女を知らない僕にその仕事は務まるのだろうか。
そもそも、目の開かない男の存在価値って…?
膨大な知識の海に沈んだある時、“悪魔辞典”にも僕は目を通していた。
邪視:人を呪で縛れる不思議な力。汚物を嫌い、目にすると術者が死に至る。
自分が人を呪えるのかは分からない(そもそもやったこともないし)。
けれど汚い物を見るのは苦手だった。苦手、なんて甘いモンじゃない。道端で犬の糞を見つけた時、見世物小屋の裏手で用を足す男のソレを見た時――得も知れぬ不快感と高熱で3日は寝込むのだ。男女の性の営みを見てしまった夜も同じように眼球に激痛が走り、これも酷い事になった。
そんな僕に仕事が務まるのだろうか。
人形として奉仕すればいいのかなぁ。
もやもやと考えを巡らせていたけれど、ブルースはまた僕にサングラスを掛けて肩を叩いた。
「其処に掛けなさい」
背後のアルフレッドが椅子を引いて僕の席を作る。
言われるがまま席に着くと、どうやら二人っきりの夕食のようだった。
アルフレッドの給仕で運ばれる温かいパン、野菜のスープ。
焼いた鶏肉とクリームのソース――
言葉を発しない食事に慣れていた僕だけど、“誰か”と一緒なのに一言も喋らないのは変な気分だった。
そんな状況を打破したのは、やっぱり当主のブルースだった。
「…リチャード。
私は君を買った、それは分かるね」
「はい。
こんな僕を拾って、こうして養育して頂いたことは感謝しています」
――食事のマナー、言葉遣い。
屋敷に来た当初は酷いものだったけれど、アルフレッドの辛抱強い教育で僕の所作は洗練されたものになっていた。
「君には期待しているんだ。君のその力にね」
デミタスカップの濃いエスプレッソを流し込んでブルースは告げる。
――正直、身体を売れ、と言われなくて安堵していた。
男女の営みは苦手とするものだったし、それが“見え”てなくたって、どんな症状を僕にもたらすか分からなかったからだ。
「…この力ですか?」
僕はデザートのスプーンを置いて俯く。
「君の持つ力…それを知らないワケではないだろう?」
「…はい。この目が『邪眼』と呼ばれて忌み嫌われていることを知っています。
見世物小屋では何人もの人が僕を見て『死にたい』とのたうち回ってました」
――けれど、僕は彼らを“見て”はいない。ただ僕の視線の先に居ただけだ。
「『死ね』と命じて人を見たことがあるか」
「いいえ。
何も考えずに見た人が『死にたい』と言うだけです」
僕は素直に答える。
僕はあの見世物小屋で『死にたい』と言ったその先を知らない。
本当に自殺したのか、集団心理で言っただけのか。
「……君は知らないだろうけどな、あの見世物小屋は“死を見せる”として有名になったんだ。
始まりの頃はただ見に行った人間が『死にたくなる』と言うだけで終わった。
その次は翌日に自殺の準備をしようとした。
けれど団長はそこで止めはしなかった。まだ『インチキだ!』と言い張る新聞記者が居たからな。
最後に君は人を見つめた。…それだけで、あの小屋から出た人間はその足で死に行ったよ。さっきの新聞記者が、その自殺者1人目だ」
――!!!!!!!!!!!!!!
淡々としたブルースの声に僕は恐怖する。
僕が…? 僕が何も知らない人の命を奪った――?
「君に悪意はないだろう。
悪意を持つなと君のご両親は君に言って聞かせた。…それは立派なことだ」
「…」
「…けれど、今の君の親は誰だ?」
――僕の養い親は貴方だ、ブルース・ウェイン。
「…貴方です、ブルース・ウェイン」
「そう、今の親は私だ。
分かるかい、リチャード」
「……はい」
何だかとても嫌な気分がする。
ブルースの声は明るいのに、凄く怖い。
きっと僕はもう表の世界からは消された存在なのだろう。
「君のその力、私の為に使って欲しい」
「…貴方の――?」
「人は必ず死ぬ。
それは早いか遅いかの違いだ。
――それを君はほんの少しだけ早くすることが出来る」
「……僕、自分の力がどんな風に効くのか分かりません。
もしかしたら、効かない人もいるかもしれないし……」
僕は下唇を噛みしめる。
嫌だ、人殺しの加担だなんて。嫌だ。
「リチャード、手を出しなさい」
冷たい声に僕の体が震える。
抗えなくて真っ直ぐ差し出した腕の、僕の耳に届いたのは風を切る音と熱い痛みだった。
「此処は私が絶対だ」
「…はい…」
「2度は聞かない。
『はい』か『いいえ』で答えなさい」
――初めて振るわれた鞭の痛みに、僕は腕を擦る。
みるみるうちにぼっこりと腫れた其処は、まさに蚯蚓腫れに恥じない傷跡だった。
「お前のその力私に差し出せるな?」
信仰心なんてあまり無くて、神様、なんて祈ったことなんて無いけれど。
僕は生まれて初めて神様に「ごめんなさい」と謝った。
「…はい。
僕の力は貴方の為にあります、ブルース様」
*つづく*
「悪魔の子だ」人は言う。
「いや、神からのギフトだよ」また別の人は言う。
「ただのインチキだ」そう言う人も居る。
――僕には不思議な能力があるらしい。
それは、そんな僕が“普通”に憧れた話。
*
生まれたのは小さな港町。
僕の両親はサーカスの花形スターだった。
君はサーカスを見たことあるかい?
一晩で立ち上がるテント、煌々ときらめく灯かり。
獰猛な猛獣に人は驚き、火の輪を潜ると歓声をあげる。
玉乗りがステージを縦横無尽に駆け回り、ジャグリングに拍手喝采。
最後に登場するのは僕の両親で、空中ブランコ乗りだった。
前人未到の4回転半。
それが花形スターの由縁で、僕の誇りで、そしてサーカスの中心だった。
僕が生まれた時、人は皆喜んだと言う。
「フライング・グレイソンズの優秀な跡取りだ」
「きっと5回転なんて容易いぞ!
もしかしたら6回転も出来るかもしれない」
けれど、僕を一目見て人は悲観したのだと言う。
「いや、この子が成長するまでサーカスは衰退するかもしれない」
「練習中に大怪我をして死んでしまうよ」
不穏な空気に気付いたのは両親で、
「曾祖父(おじいさま)と同じ空色の瞳ね」
なんて褒められたのも束の間、僕は真っ黒なサングラスを掛けられるようになった。
――遠い遠い親戚に、僕と同じような人が居たらしい。
先代は母方の曾祖父。
更に先は曾祖父の伯父。
何が原因なのか、と聞かれても分からない。
けれど、不思議な能力を持った人間が生まれるのだ。
サーカスの花形スターだった両親は苦悩した。
本来であれば、子供もサーカスの一員として活躍させたい。
愛くるしくてよちよち歩きの子供と一緒にブランコを飛べば、もっとサーカスの名声は広がるだろう。
けれどこの能力はなんだ?
見つめた人を絶望に陥れる、不思議な眼差し。
邪眼、邪視、魔眼――
文献にはそんな風に僕の能力を記していた。僕はこの目を持って無意識に“呪”をかけることが出来るらしい。
「死にたい」「死にたい」「死にたい」
子供の頃から一番聞いてきた言葉だ。
舞台には上がれなくても、チケット売りで微笑む事は幼子にだって出来る。
けれど、幾ら煌びやかな衣装を着せても、顔を隠すことは出来なかったから。
僕はずっと歓声を受ける両親を物陰から“聞いている”しかなかった。
分かるのは、両親の体つき、優しい声。触れることの許された柔らかな頬と抱き締められた時の石鹸の香り。
サーカスの人たちはこんな僕にも優しくて(だって他に目が見えない団員だって働いていたのだ。僕は彼から人に物事を伝える手段と生きる術を教わった)、素敵な世界だった。
――けれど、異端の集まるサーカスでも、僕の事は抱えきれなくて。
とうとう僕は10の時に見世物小屋に置き去りにされた。
……もしかしたら、売られた、のかもしれないけれど。
毎日僕は小さな小屋で人を見つめる。
見つめる、と言っても濁った硝子越しだ。
何十人と集まった人間を見る、ただそれだけ。
特別な感情を持たず、人間の先の空間を。
其れは、きつく両親から言われた事だった。
『人の顔を見つめてはいけないよ』
『…どうして?』
僕は泣いていたと思う。
人と違うのが悲しくて、下に生まれた弟が羨ましくて。
『ディック、お前は特別な子なんだ。
その能力は神様から与えられた……
だから、正しい事に使いなさい』
『正しい事?』
『お前が必要としてくれる人に、その力を与えなさい――』
苦し紛れの言い訳だったのだろうと今になって思う。
けれど僕はその言いつけを守ってきた。
人の顔は見ない、望まれなければ能力は使わない(と、言っても自分でどうこう出来る力じゃないんだけど)。
最初は硝子越しだった。
けれど、歪んだ硝子越しでよく見えない僕を観客は「嘘だろ」そう詰り、いつの間にか硝子は割られた。
その次は真っ暗なサングラスを掛けた。
薄暗い世界越しに、僕は人々の先の虚空を見つめる。
けれどやっぱり「イカサマだ」観客は怒り、サングラスも奪われた。
最後の部屋は薄暗くなった。
何十人と押し掛けた人は少なくなり、いつも片手で足りる人が僕と対峙する。
うっすらと目を開けると恐怖に慄いた人の顔ばかりが僕へ向けられ、誰も僕を「インチキだ」と笑わなくなった。
けれど、小さな見世物小屋では恐ろしい演目だったらしい。
大きな街に巡業した時、そのまま僕はその街に置いて行かれた。
――きっと、見世物小屋の団長も僕を“売った”のだろう。
僕が13の時だった。
その街は酷く荒れていて、今まで巡ったどの町よりも治安が悪かった。
真夜中にも響く銃声、叫び声。
朝になれば別の怒号が響き、殴る音が聞こえる。
「この町はゴッサムと言います」
僕を“買った”屋敷の人間は言う。
けれど僕は学校にも行ったことが無いし、地図の読み方も知らなかったからこの街が何処にあるのかも、何も分からなかった。
僕の生まれた町は港町で、よくサーカスでも港町を巡っていたけれど、こんな空気の悪い港町は知らない。
1度連れて行って貰った海は暗く、がらくたが浮かんでいた。砂浜なんて勿論ないし、釣りをしている人も居ない。
ただ灰色の暗い海と、酷い潮風に気が重くなっただけだった。
ゴッサムの街で、僕は屋敷から出るのを許されなかった。
いや、屋敷だけじゃない。“部屋”から出るのも許されなかった。
唯一許されたのは日の入りの時間、屋敷の中庭。
ほんの30分だけど、そこで外の空気を感じることを許された。
もうブランコに乗って喜ぶ年ではなかったけど、風を感じられるその遊具で僕は夢中になって遊んだ。
もしかしたら。
サーカスの次に訪れた平穏な時間だったのかもしれない。
部屋から出られない事を覗けば、僕は1番“自分”の姿で過ごす事が出来たからだ。
真っ黒なサングラスは執事が食事を運ぶ時と、外に出る時だけ。
部屋に一人だから眼鏡はしなくていいし、明かりだってしっかり灯せる。本棚の本の絵を見るのが好きだと話したら、子供向けの文字の本が手渡された。
それは、14になって初めて知った“文字”だ。
僕は初めて知る文字の世界を夢中になって覚えた。
AppleのA、BedのB、ColorのC…
君も子供の頃にそうして教えられただろう? とてつもなく遅いけど、それは僕にとって初めての“勉強”だった。
初めは文字から、その次は数字。
よく、スポンジが水を吸い込むように――なんて知識欲の形容がされるけど、まさにこの時の僕は“そう”だった。
字を覚えれば単語が読める。
単語が読めれば文章が読める。
数字を覚えれば計算が出来る。
数字の意味も分かる。
一気に開けた世界に、僕は没頭した。
花の辞典を見て中庭に出れば、その花が“何か”なのを辞書は教えてくれる。
いつも飲む紅茶の銘柄を調べれば、“何処で”産出された茶葉なのか調べられる。
好きなだけ本を読んで、初めて触れる“知識”の海に僕は溺れた。
町の歴史書を読んで、僕はこの街の歴史を知り、
新聞を読んで、ヘイリーズ・サーカスの巡業を追った。
――そしてやっぱり、“見世物小屋”は違法である事も理解した。
僕を引き取ったのはこの街一番の権力を持つ“ウェイン”の一家だった。
……どんな権力かって? それは街の“裏側”の力だ。
この街は混沌としている。
古くからこの街を拠とするウェインファミリーと、対峙するジョーカーファミリー。それに、メトロポリスからの新勢力・ルーサーファミリー。最近、ジョーカーファミリーとルーサーが手を組んだって噂もある。
田舎町に比べたら大きな街とは言え、3つの勢力が争うには余りにも小さい。
街の規模に比べたら大きな商業港を持ち、メトロポリスにも近いこの街は中継地として非常に優秀なようだった。
優秀と言えば、僕の引き取り主でもあるウェインファミリーの当主・ブルースで、彼はこのファミリーの頂点に君臨するため、僅か15歳の時に両親を暗殺しその地位に就いたらしい。
彼の右腕はこの屋敷の執事であり、僕の世話をしてくれるアルフレッドだった。
いつも穏やかな物腰で、僕に接してくれるアルフレッドが優秀な暗殺者だなんて恐ろしい世だとも思うけれど、
僕の能力を“買った”のもこの一家なのだ。
きっと僕もいつかファミリーの力にされるのだろう。
高く積み上げた歴史の本で僕は学んだ。
*
僕の人生が動いたのは16になったある日の事。
今まで一度も会ったことのない形式上の家族――ブルース・ウェインに僕は呼ばれた。
この屋敷に来て3年。
相変わらず僕の穏やかな幽閉生活は続いていた。
僕の世界は自分の部屋と屋敷の中庭だけ。
けれど本の世界は僕を宇宙にだって連れ出してくれるし、洞窟の探検だってさせてくれた。
現実の世界は狭いかもしれないけれど、僕の心は自由だった。
アルフレッドに連れられて初めて歩いた長い廊下の先。
同じような景色が続くものの、そこは初めて足を踏み入れた屋敷の景色で。
初めて見る花瓶や照明に年甲斐もなくきょろきょろと見まわしてしまった。
「こちらが大広間。
ブルース様がお待ちです」
大きな両開きの扉の前で硬直した僕に、アルフレッドは案内する。
促されるように木製の扉を開けると、その先には大きな大理石のダイニングテーブルと綺麗に揃えられた椅子が並べられていた。
大広間の一番奥、暖炉の前の主賓席にその人物が鎮座している。
「ブルース様、リチャード様をお連れしました」
凛としたアルフレッドの声に、自然と僕の背筋も伸びる。
やや間があって、
「…ここへ」
当主のものだろう、低い声が響く。
「こちらへ」
先導するアルフレッドを僕は追いかける。
大きな柱を3本過ぎたところで、ようやく大理石のテーブルが途切れた。
俯いた僕にブルースは声を掛ける。
「…初めまして、リチャード。
屋敷での生活はどうだったかな」
――マフィアの首領って言うから、怖い人を想像していたのだけど。
サングラスの薄暗い世界から見えるブルースの爪先は上等な革細工が施された靴で、その声も思ったより優しい。
きっと纏ったスーツも良い手触りの一級品なんだろうな、思いながらズボンのダーツを見ていると
「…顔を上げて」
そう指示される。
「……ダメです。
この顔は貴方に不幸を呼んでしまう」
屋敷での穏やかな生活を約束された僕は、養父の命を絶つことは出来ない。またあんな見世物小屋に戻されるのは真っ平御免だ。
「目を閉じていれば問題ないだろう?」
ブルースは言って立ち上がる。
穏やかな声ではあったけれど、低い響きには有無を言わせない強さがあって、僕は生唾を飲み込むとしっかりと瞳を閉じた。
暗闇の世界に、ブルースが至近距離に近づいたのが分かる。
長身であろう彼に見えるように背筋を伸ばして首を上げると、そっとサングラスを外された。
「……美しい」
彼は僕の顔に触れて呟く。
こめかみ、頬、鼻筋。
撫でるようにそっとブルースは僕を撫でる。
首筋から肩、ゆっくりと腕を伸ばされて指の先まで触って、ウエストラインもぎゅっと抱かれた。
――品定め、かな。
僕は思う。
表向きは優良な企業を抱えたウェインファミリーだけど、裏の顔はこの街のマフィアだ。表には出せないような性風俗の斡旋だってしている。
……きっと、僕も大切に育てているのもそんな“商品”に仕立てるためだろう。
女を知らない僕にその仕事は務まるのだろうか。
そもそも、目の開かない男の存在価値って…?
膨大な知識の海に沈んだある時、“悪魔辞典”にも僕は目を通していた。
邪視:人を呪で縛れる不思議な力。汚物を嫌い、目にすると術者が死に至る。
自分が人を呪えるのかは分からない(そもそもやったこともないし)。
けれど汚い物を見るのは苦手だった。苦手、なんて甘いモンじゃない。道端で犬の糞を見つけた時、見世物小屋の裏手で用を足す男のソレを見た時――得も知れぬ不快感と高熱で3日は寝込むのだ。男女の性の営みを見てしまった夜も同じように眼球に激痛が走り、これも酷い事になった。
そんな僕に仕事が務まるのだろうか。
人形として奉仕すればいいのかなぁ。
もやもやと考えを巡らせていたけれど、ブルースはまた僕にサングラスを掛けて肩を叩いた。
「其処に掛けなさい」
背後のアルフレッドが椅子を引いて僕の席を作る。
言われるがまま席に着くと、どうやら二人っきりの夕食のようだった。
アルフレッドの給仕で運ばれる温かいパン、野菜のスープ。
焼いた鶏肉とクリームのソース――
言葉を発しない食事に慣れていた僕だけど、“誰か”と一緒なのに一言も喋らないのは変な気分だった。
そんな状況を打破したのは、やっぱり当主のブルースだった。
「…リチャード。
私は君を買った、それは分かるね」
「はい。
こんな僕を拾って、こうして養育して頂いたことは感謝しています」
――食事のマナー、言葉遣い。
屋敷に来た当初は酷いものだったけれど、アルフレッドの辛抱強い教育で僕の所作は洗練されたものになっていた。
「君には期待しているんだ。君のその力にね」
デミタスカップの濃いエスプレッソを流し込んでブルースは告げる。
――正直、身体を売れ、と言われなくて安堵していた。
男女の営みは苦手とするものだったし、それが“見え”てなくたって、どんな症状を僕にもたらすか分からなかったからだ。
「…この力ですか?」
僕はデザートのスプーンを置いて俯く。
「君の持つ力…それを知らないワケではないだろう?」
「…はい。この目が『邪眼』と呼ばれて忌み嫌われていることを知っています。
見世物小屋では何人もの人が僕を見て『死にたい』とのたうち回ってました」
――けれど、僕は彼らを“見て”はいない。ただ僕の視線の先に居ただけだ。
「『死ね』と命じて人を見たことがあるか」
「いいえ。
何も考えずに見た人が『死にたい』と言うだけです」
僕は素直に答える。
僕はあの見世物小屋で『死にたい』と言ったその先を知らない。
本当に自殺したのか、集団心理で言っただけのか。
「……君は知らないだろうけどな、あの見世物小屋は“死を見せる”として有名になったんだ。
始まりの頃はただ見に行った人間が『死にたくなる』と言うだけで終わった。
その次は翌日に自殺の準備をしようとした。
けれど団長はそこで止めはしなかった。まだ『インチキだ!』と言い張る新聞記者が居たからな。
最後に君は人を見つめた。…それだけで、あの小屋から出た人間はその足で死に行ったよ。さっきの新聞記者が、その自殺者1人目だ」
――!!!!!!!!!!!!!!
淡々としたブルースの声に僕は恐怖する。
僕が…? 僕が何も知らない人の命を奪った――?
「君に悪意はないだろう。
悪意を持つなと君のご両親は君に言って聞かせた。…それは立派なことだ」
「…」
「…けれど、今の君の親は誰だ?」
――僕の養い親は貴方だ、ブルース・ウェイン。
「…貴方です、ブルース・ウェイン」
「そう、今の親は私だ。
分かるかい、リチャード」
「……はい」
何だかとても嫌な気分がする。
ブルースの声は明るいのに、凄く怖い。
きっと僕はもう表の世界からは消された存在なのだろう。
「君のその力、私の為に使って欲しい」
「…貴方の――?」
「人は必ず死ぬ。
それは早いか遅いかの違いだ。
――それを君はほんの少しだけ早くすることが出来る」
「……僕、自分の力がどんな風に効くのか分かりません。
もしかしたら、効かない人もいるかもしれないし……」
僕は下唇を噛みしめる。
嫌だ、人殺しの加担だなんて。嫌だ。
「リチャード、手を出しなさい」
冷たい声に僕の体が震える。
抗えなくて真っ直ぐ差し出した腕の、僕の耳に届いたのは風を切る音と熱い痛みだった。
「此処は私が絶対だ」
「…はい…」
「2度は聞かない。
『はい』か『いいえ』で答えなさい」
――初めて振るわれた鞭の痛みに、僕は腕を擦る。
みるみるうちにぼっこりと腫れた其処は、まさに蚯蚓腫れに恥じない傷跡だった。
「お前のその力私に差し出せるな?」
信仰心なんてあまり無くて、神様、なんて祈ったことなんて無いけれど。
僕は生まれて初めて神様に「ごめんなさい」と謝った。
「…はい。
僕の力は貴方の為にあります、ブルース様」
*つづく*
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