習作/きのこ

メダリスト/夜鷹×司

名港スケートリンクでの早朝練習を終え、いのりを迎えに来た母ののぞみに彼女を送り届けると、急に司の肩の力が抜ける。まだまだコーチとしては半人前、しかも今日はホームリンクではないリンクでの練習なのだ。顔見知りが多いとはいえ、彼に注がれる視線は厳しい。

「は～…　コーヒーでも飲んで帰ろ……」

司はバックパックを背負い直すと、建物の隅にある自動販売機へと向かった。
リンク内にある自販機よりも10円程安く飲料を売っているここは、密かに司のお気に入りスポットだ。教え子であるいのりの前では“大人”を演じている（中身が大人になり切れていないことは分かっている）ものの、こうして1人になると唯の金欠気味の青年。

電子マネーの残り、まだあったかな…なんてポケットを探っていると、会いたくない相手に出会ってしまった。

「………」

朝は既に明けているというのに、剣呑とした闇夜の装い。
相変わらず羽織るシャツは真っ黒で、シルク素材の其れは皺ひとつ見当たらず、鈍く光沢を放っていた。

――夜鷹 純。

「！」

氷上の上ではあんなにも偉大で人々を魅了するスケーターは、陸上だとこんなにも態度が悪い。
品定めするように動かされた視線に、かつての夜を思い出して司の足は固まった。

出来るなら、このまま無視して隣をすり抜けてしまいたい。
たった10円でこの空間から逃げられるものなら安い物だ。

司の本能が告げている。
けれど、睨まれた視線に何か迷いのようなものを感じて、思わず司は声を掛けてしまった。

「ぉ…おはよう、ございます。
　光さんの練習ですか…？」

頷いた夜鷹は、そのまま視線を自販機に走らせる。
生活能力の欠いた男に、司は次第を察した。

「小銭、持ってます？」

＊

――どうしてこうなった？

敷地内のベンチに腰掛けてコーヒー缶のプルタブを引いた司は頭を抱えている。
隣では何を考えているのか分からない男・夜鷹が大人しくホットレモンを啜っていた（因みにペットボトルは司が開けた。どうしてボトルのキャップを捻ることも出来ないのたこの男は）。

互いに無言のまま静かに喉を潤していると、不意に夜鷹が口を開く。

「…キノコ」

視線の先は向かいの植木の根元。重なるようにひらひらと黄土色の茸が生えていた。ここ数日の雨と湿気に勢いづいたのだろうか。よく見ると、座ったベンチの足元にも別種の茸が傘を開いていた。

「生えてますね」
「…食べられるのか？」
「無理ですよ。美味しくないです」
「食べたのか」
「……その辺については黙秘したいです」

朴訥とした夜鷹の言葉にも、元来の性質なのか司は丁寧に答える。

「落ち葉の下とか…湿っていて日当たりが悪い場所だと勝手に生えてきますよ」

――梅雨時期に部屋に生えたこともあります。
続けた司は失笑すると、冷めたコーヒーを一気に飲み干して立ち上がる。

コーヒーを飲んでしまえばこの場所に居座る意味もない。
夜鷹と司はスケートへの愛は会っても、互いへの情は無い筈だ。

ズボンの汚れを払い、バックパックを背負った司に夜鷹は顔を上げる。

「それなら、僕も知っている」

――？

相変わらずの無表情のまま、何の迷いもなく真っ直ぐに股間を指差した彼に、司の蔑んだ表情が本日の最高得点を叩き出したと言う。

＊おしまい＊